>>
フラッタリーその2 「おもねたくない」 小波盛佳
「おもねたくない」というのは、大事な心がけですが、それが過ぎるとぎくしゃくします。
時代とともに変わってきたおつきあいのありかたを考えてみましょう。
2004年06月27日
2006年04月22日改
戻る:
夫婦円満の秘訣
>へ
おもねるは、阿ると書きます。おべんちゃらやおべっかに近く、阿諛追従(あゆついしょう:相手に気に入られようと、
こびへつらうこと)という言葉がそのままの意味を示しています。
一般に、人の行いを非難するときに使われ、古くから、卑しいこと、明らかに品性上好ましくないこととして、戒められてきました。
おもねることと対照されるのが「黙ってやっていれば、お天道(てんと)さまが見ていてくれる」と思って、
全くアピールしないことです。
そのお天道さまっていったい誰のことでしょうか。
それは、不特定の他人である場合、いわゆる神である場合、それに自分である場合の3通りになるでしょう。
「神さま」が見ていてくれるというのは、因果応報の思想からきているので分かりやすいことではあります。
一方、「誰か」が見ていていつかは認めてもらえるというのも、それに近いものでしょう。
応報が来世であるか近未来であるかの違いだけです。これらの差はあまりないように思います。
といっても、突き放しているわけではありません。もちろん、立派な考え方です。
宗教などには、この考え方を普及させる大きな役割があると言えるでしょう。
その因果応報すら期待せずに淡々とお天道さまを信じている人もいます。
お天道さまは自分の心の中にあると思うからです。
自分の正義を全うするとか真実を追求するとかいう意味で、自分が納得して生きていさえすればよいというのは、
それはそれで怖いもののない人生かもしれません。
ただ、これは危険な側面も持っています。周りの人との調和がとれないことになるかもしれません。
いわゆる崇高な理念に基づく行動は、讃えられるべきものでしょうが、
ひとりよがりになってしまうこともあり得るからです。
たとえば、理解してもらえるはずの相手に対して、話せば分かる…かもしれないことなのに、
話しあう努力を怠るのはよくありません。
なかなか割り切れないことですが、あまり好きでもない上司と仲良くすること自体は,
おもねることではないと考えた方がよさそうです。
仕事をする上での接触が避けられないのですから、いい意味でフラッタリーとして考える必要もあります。
誰に対しても、必要に応じて会話をうまく運ぶようなことは、やはり大事なことでしょう。
上司の例に限らず、社会生活の上では、どうしても相いれられないことは別として、相手を尊重して、
合わせる努力が必要です。
それをおもねる行為と考えて避けていては、自分と相手との関係がぎくしゃくしがちになり、
その修復がままらないように思います。
(小波盛佳 Moriyoshi Konami)
・読みにくい場合は,ブラウザの窓を狭めるなどしてみてください。
・これからも付記・修正していきます。ご意見などをお願いします。
・画像は、クリックすると大写しで見られます。
© 2001-2019 小波盛佳
連絡メール >
HOME:
小波盛佳オフィシャルページ >「海外旅行の心得」などあり