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ちいさなしあわせ あれこれ 小波盛佳
炊きあがりピーの音で、ご飯の炊きあがった釜を開けます。かきまわして、ちょっと一口つまみます。これがうまいんですねえ。
小さなしあわせはそこらに転がっています。人が生きていくには、潤滑油として欠かせないものです。
その幸せ感を言葉にすることで、あらためて幸せを自覚してみてはいかがでしょうか。
もちろん、小さなしあわせが人生のすべてではありません。
これはあくまで人生の一部と感じるからこそ、ちょっとした息抜きになり、何かをやろうという意欲につながるのでしょう。
2003年08月31日
2006年04月22日改
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夫婦円満の秘訣
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名のある女優が、「幸せって意外に小さなところにあるんですよね。」とテレビで語っていました。
いろんなリスクを乗り越え、大成功や大失敗を繰り返して一喜一憂しながらやってきただろうに、と思うとちょっと不思議な気がしました。
だれしも、振り返ってみれば、一心不乱に仕事をしている最中もあるし、一息ついてちょっと余裕のあるときもあります。
自分にとって大成功と思う瞬間があり、幸せいっぱいの時があります。
一方、仕事や生活上のことで眠れないほど辛いときだってあります。
でも、ちょっと待ってください。どんなときでも小さなしあわせって持てるのじゃありませんか。
この暗くなってしまった世相の中で、ちいさな幸せ、喜び、楽しみといったものをとりあげて書いてみることで、他の人にも共感してもらえるかもしれません。
そんな思いでつづっていきましょう。(これはうちのカミサンのエッセイから借用)
25年前から花粉症の私は、春の晴天が苦手です。風が吹く日は特につらく感じます。
曇っているだけで、「あめあめ降れ降れ、かあさんが」の歌を口ずさみたくなります。
若いときは「雨=いやだ」、の図式があったし、それが今でもないわけではありません。
しかし、花粉症になってから、春以外の季節を含めて雨をそれほど嫌がらなくなってしまったのも事実です。
これは気持ちの持ち方、価値の見方によって、同じことに対しても喜び悲しみに差がでてくるという見本でしょう。
電車に駆け込み、ああ、もう席は埋まってしまったなあ、とがっかりしたのに、ひとつだけ座れる席、それもきれいな人の隣の席を見つけたとき。
家を出る時に予期せぬ雑用や忘れ物があって、つい時間が遅くなってしまいました。でも、結果はオーライ。
私は普段、座ることにそれほど執着しているわけではないので、
そこで座れること自体より、自分のための席がひとつ用意されていたことが素直に嬉しかったのです。
私は若いころから、ちょっと気づいたことを文章にしておこうと思ってきました。
といっても、それほどたくさん思いつくわけでも、そしてそれをまめに書いてきているわけでもありません。
思いつきのタネにしてもあまり系統だってはいません。
たいていは、何かの役に立つということでもないのですが、ふっとタネを思いつくと嬉しく感じます。
思いついたタネはまずメモとしてざっと書いておきます。それを、時間のあるときにちょこちょこと直していくやり方で完成させていますが、
これはコンピュータソフトのデバッグをしているようなものです。確実に少しずつよくなっていきます。それも快感です。
でも、文章に仕上げて人に読んでもらうまでには、結構根気がいります。
だから仕上がっているものは多くありません。
読み物として、流れがスムーズですっきりしたものができ上がったときはとても嬉しくなります。
特に削りに削って、エッセンスを無理なく伝えられそうなコンパクトな文章に仕上がった時は喜びとともに誇らしさを感じます。
ここらあたりは、小さなしあわせを少し超えているでしょう。
私が持ち運んでいるノートは、ちょっと見には豪華です。でもとても軽いのです。
本体はプラスチック製のB4型ルーズリーフ・ファイルですが、カバーは着なくなったビジネススーツをリサイクル利用したものです。
それを数年使っているうちに周囲がすれてきました。それでも無理して使っていましたが、ルーズリーフの止める部分が壊れました。
なおもこれを補修しながら使ってきましたが、決定的に壊れてとうとう使えなくなりました。
そこで同じ型のファイルを買ってきて、このためにとっておいた古着のスーツで新調!?しました。
このノートには小さなしあわせがいっぱい詰まっています。
まず、最初に軽くて丈夫なファイルを見つけたときの喜び。
駄目になったスーツを再生させてこぎれいなノートに仕上がった喜び。
そのノートを壊れるまで使い切った喜び。
そして、また新しく同じようなノートができた喜び。
ミシンの得意なカミサンに作ってもらったこのノートは中身の情報とともに私の大事な宝物です。
帰りに自宅の近くでぱったり家族と会ったときは、とてもうれしく思います。
特になんということはないのですが。
帰宅のホッとした気分を同時に共有する楽しさとでも言いましょうか。
共生の喜びというのはこういうことの積み重ねなのかもしれません。
折角一緒に帰ったのに、片方が外で食事を済ましていたりすると、そのアンバランスから楽しさが半減します。
だからそういうときは黙って一緒にもう一回食べてしまうよ、という気の優しい人もいます。
私も、せめて、軽くいっぱい飲んできただけだから、と言いながらできるだけ一緒の食卓につくことにしています。
(小波盛佳 Moriyoshi Konami)
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