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インターネット上で実名を名乗ることについて
小波盛佳
人は,自分の行いに責任をもつべきです。だから実名を名乗るのは本来当然なはずです。しかし,やっかいな問題もあります。
ウェブサイトのページに実名を入れることについて考えてみます。
2002年07月28日
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名乗って自分をさらけだす個人のHPはあまりありません。特に,管理人が企業人の場合は,社内向けには仕事以外の活動や意見を隠すのが普通でしょう。
与えられた業務だけを考え,それで精一杯という顔をして,それ以外で充実しているかもしれないことは一切表さない。娯楽もその企業の中で「公に?」認められている仲間うちの遊びぐらい。それがよしとされてきたからでしょう。一番恐いのは,周囲の,とりわけ自分を評価してくれる人たちの嫉妬というわけです。
これは一概に否めません。比較的奔放に生きてきたように見られるらしいこの私も,やはりその呪縛から逃れられません。
でもこの年になってそんなしがらみから少しはみだしてみようかなという気になりました。人に教えてあげたい気持ちに,ちょっとばかりの自己主張(というほどでもありませんが)を加えて自分のサイトを作ってみました。
これからという若い人たちには,とりあえず,この種のサイトはお奨めできないかもしれません。自信が持てるようになるまで,とりあえず,匿名で主張していくというのが一般的でしょう。
日本社会は,味方を得るより敵を作らない方がうまく運ぶことも多く,若い人の目立つ自己主張は叩かれやすいということもあります。
また,何かのミスで取り返しのつかない悪評を受けて信用失墜を起こすかもしれません。
ひょっとして,悪意か善意かにかかわらず,予想しない書き込みにとまどい,対応できずにトラブルに発展してしまうかもしれません。
特に若いうちに政治・宗教・思想・信条を強く主張する場合は,よほどの覚悟が必要でしょう。
かといって,匿名なら何をしてもよいというわけではありません。人前に出す以上,内容に対する責任はおおいにあります。万一実名が出ても恥ずかしくないように心がけなければなりません。
名乗ることに決めると,発表が慎重になります。
インターネットによる発表はそれ以外のどんな形式よりも多くの人に影響を及ぼす可能性を持っています。
逆にいえば,裸のままの自分をじっくり見られるわけです。内容だけでなく文章の作法の隅々まで評価されます。ちょっとしたミスも大変なミスも全て自分の責任です。
これは,本を出版するのと同等またはそれ以上に,恐いことです。すぐに直せるからという気持ちでとりあえず掲載する場合にも,その責任は十分に感じていなければなりません。
たった一人しか閲覧していないと思ったら,その人が全文を引用して,他に紹介し始めているかもしれないのです。それも現著者の知らないところで,世界中に発信するかもしれません。
しかし,裏を返せば,自分が責任ある発表者としての訓練を積む場にできるということです。文章力をブラッシュアップし,発表する前に推敲を重ねる習慣が身につきます。
これは,公の場でプレゼンテーションを行ったり,本を出版したりという晴れの舞台に登場するための訓練になります。
そして,日常生活の場でも,サイトの内容に恥じない生活をしようという心地よい緊張感を持続させることになるでしょう。もっとも,あまり気張りすぎるのも健康に悪いらしいですが。
もちろん,いわゆる個人情報(生年月日,電話番号,大事なメールアドレス,交友・縁戚関係,勤務先電話,財産:あってもなくても,などなど)は隠しておかないと面倒なことになりそうですので注意が必要です。得体の知れない人たちに情報を集められると,ろくなことになりません。
個人情報の流出とか不法な収集ということがよく採り上げられます。人を管理しようとする人たち,データの利用によって利益を生む可能性のある人たち,データ作成自体が仕事である人たちのうちで,心ない人が少しでもいたら,そこに危険が発生することを示しています。
そして,偶発や事故というなまやさしいことでなく,その危険は必ず表面に出てきます。
古くから,管理しようとする側は,管理される側の個人情報をできるだけ集めようとしてきました。
個人の尊厳を認めなかった時代には極めて露骨に情報を収集されていたはずです。それは簡単にはなくなりません。
情報が収集されやすい今の時代は,全てを「おかみ」に把握されていたそんな封建時代の社会と同様の状況にあるわけで恐いと感じます。
金融関係などの利害が絡んだ形では,その情報の集積は現在でも当然のように行われています。
そして今,利便性の追求という理由で,個人の住民としての情報の集中管理が行われようとしています。
簡単に悪用されかねないシステムがいよいよやってきたように感じます。
その危険について、大半の人が恐さを感じないのはどうしてでしょう。
個性を主張することを抑圧され,その個性を守ることに鈍感であるどころか、すべてを投げ出して管理されることで安心を得てきた民族のかなしさでしょうか。
運用が軌道に乗ったあとで大きな問題が露呈し,取り返しのつかない状態になってから議論がはじまるのでしょうか。
ここまできたら、少し静観するしかありません。
珍姓+珍名の筆者は簡単に個人を同定(あのなまいきなことをいう奴は,こいつだというように分かってしまうこと)されてしまう危険にさらされています。そういう意味では,筆者の場合,少々隠してもしょうがないという事情にあります。
それに,多くの既発表の著作があり,それを示すとすれば匿名の意味がありません。実際には,バラバラだったこれまでの発表の内容とその原動力になっている思いをまとめた上で,多くの人に知ってもらいたいという自己顕示欲もあります。
年齢的にも,ここまでくれば恥をかき捨てて,万一の誹謗中傷などにも耐えやすくなってきたかなという,いわば老人力もついてきたように思います。
なにはともあれ,自信をもって自分を主張することは大事です。ただ,人の行動様式はそれぞれ違って当然です。名乗りを挙げて勇猛果敢に飛び込んでいき,それを押し通して成功に導くのが得意な人もあるでしょう。
逆に石橋を叩いてわたる慎重さをもって,人知れず確実に仕事を積み上げる人もいるでしょう。実名を入れることの功罪を知り,つまるところ,自分なりの価値観を持った上で選択するしかありません。
たとえば,一般論として言えば,女性の場合,写真は出さない方が安全ですし,残念ながら実名を出すこと自体が危険を伴いやすいようです。
若く心が傷つきやすい人や,社会的な弱者にもそれに近い事情があるでしょう。
その中には,過激な意見を持つ人たちによる攻撃,悪意から発する誹謗,利益への固執による陥穽(おとしあな),社会的な迫害など,危険はたくさんあります。
個人の事情に応じてどこまで公開するかをよく考えて,思わぬ被害を被らないように気をつけましょう。
(こなみ もりよし)
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