>> 学位を授与されるまで(公開版)               小波盛佳

これは,「粉粒体の物性とその空気輸送特性」のテーマで横浜国立大学より工学博士の学位を授与されるまでの体験をご紹介するものです。

2002年07月01日

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目次

  1. はじめに
  2. 思い立つまで
  3. 入学と修了の条件
  4. とりかかってみて
  5. 救いの神
  6. 本論文の執筆
  7. 謝辞

■  1. はじめに

 天命の理(ことわり)を知ったはずの50歳をすぎてから,企業に籍を置いたままの社会人学生という形で学位取得に取り組み,所定の3年間でどうにか目標にたどりついた。
 開始してしばらく経った頃は先が見えず,絶望的に感じられたこともあったが,なんとか完遂することができた。 結果として,当初目指した題材から少しずれた。 しかし,ほとんど研究しつくされたとさえ言われる高濃度空気輸送を題材とし,輸送困難なものの輸送方法を体系化できたように思う。

■  2. 思い立つまで

 10年ほど前,横浜国大の松本幹治教授に「大学院に社会人入学という制度があるがやってみませんか」と,声を掛けられた。 その時は,専門とする粉体から離れた部署にいて遠い世界の話と感じた。 その後,当時会社に在職されていた元上司の技術士内田昇氏から,「一緒に学位を取りましょうよ」,と誘われたが,その時もまだ粉体から離れていた時期で,実感が湧かなかった。 内田氏はねじれ管輸送の共同研究を都立大学と進めておられ,結果的に見れば,もう一踏ん張りで学位に達することも可能だったようだ。 今になってみると,いくらかでもお手伝いができていればと残念である。

 きっかけは突然やってきた。 1998年の秋,鹿児島大学の幡手泰雄教授と共同開発についての打ち合わせをした後で,社会人入学を勧められた。 飛行機で時々通ってくる社会人学生もいますよ,とのことであったが,鹿児島では遠すぎるように感じた。 そこで,近場ならと,日本液体清澄化技術工業会でこの数年お世話になっていた松本先生に,今も入学が可能かどうかとお尋ねした。 先生はまとめられそうなテーマがあるならと快諾された。 土曜日曜以外に,平日に通うこともあり得るということで(結果的には年間ほんの1,2日で済ませることができたが),会社に申し出た。 会社としては始めてのケースでとまどいもあったようだが,特に問題がないということで許可され,願書を出した。 締め切り間近で,思い立ってから2週間ほどの短い間であった。

■  3. 入学と修了の条件

 社会人大学院生として入学するための条件は別紙の通りであり,特に難しいものではない。 数名の審査員を前にした口頭試験はあるが,それはテーマがあって,完遂する意欲さえあれば問題はない。 安くはない授業料を払おうというのだから,基本的には歓迎される。 もちろん,頑張りきれるかどうかは誰にもわからないので,結局は自己責任である。

 研究のテーマとしては,とりあえず2つあればよいということで, 先の内田氏にも相談に伺い,前に苦労して研究・開発したものでデータが未解析のものを選んだ。 「固結性粉体の貯槽設計」と「固結性粉体の空気輸送」である。 いずれも,実際のプロセス設計のために実験と解析を行い,プラントとしては実証されている内容である。 合わせて「固結性粉粒体のハンドリング」をテーマとすることを目指した。 これに,この数年のハイライトである「スパイラルフローによる空気輸送」の実験データ解析で補足すれば何とかまとまられるだろうと思った。

 別紙に示した学位取得の条件のうち,最大の難関は,学術論文(査読付き)の提出数である。 3報(2報プラスアルファ)で英字論文を含むことが必要であると指示された。 一般課程の学生は2報であり,社会人はこれより少し厳しくということである。 この条件には大学や専門によって大きな差があるらしい。 1報プラスアルファ程度のところもある。 また権威が高くない学会誌の論文は1報として認められないことがある。

■  4. とりかかってみて

 まず,貯槽の設計を題材としてまとめることにした。ちょうど北海道大学での粉体工学会の講演を依頼されたタイトルを「貯槽内粉体の水分と制御」とすることで,弾みをつけることにした。これは,乾燥塩貯槽の排出に関するもので,実験とその解析を内田氏と小波が担当した。実験データもよく採れており,貯槽の設計思想は当時の日本専売公社の食塩貯蔵技術を超えるレベルの高いものである。設備としては既に20年経っており,ちょうど腐食した鋼製貯槽などの設備更新工事が始まるところで,ついでの時に現場を見学させてもらった。

 これを講演要旨として,論文の下書き的にまとめた。講演では技術発表として評判が良く,このような発表こそ学生達に聞かせたいという話もあったぐらいである。しかし,松本先生の目は厳しく,学術論文としては学問的に掘り下げるためのデータが不足しているとされた。技術論文(学会誌によってはこの扱いがある)として査読が通過する可能性はあったが,学位審査では0.5報またそれ以下にしか評価されないということでとりあえず中断した。

 次にもう一つのテーマ,調味料工場向けの食塩(固結性粉体)の空気輸送をテーマにしようとした。膨大なデータを整理して入力し,それを基にパラメータを変えて傾向をグラフで表示してみたが,立てた仮説に沿うような傾向が現れず,期待がはずれた。いわばデータが豊富にあり過ぎて,まとめるのが難しく,これまた暗礁に乗り上げてしまった。

■  5. 救いの神

 そのころ,核燃料に関する実験JOBが進行していた。 これは,たままた講習会での筆者の受講者から引き合いがあって受注した,「輸送実験検討のための研究開発JOB」である。 課題は摩耗・破砕しやすい核燃料を空気輸送装置でなんとか輸送できないかというものであった。 他の輸送方法ではうまくいかないのを,なんとか摩耗を抑えて輸送できることの証拠を出すことを依頼されたわけである。 NSEの空気輸送機PFC(プラグフローコンベヤー)は低速で輸送できるものとして優れているが, その通常の手順では粒子の摩耗が激しかった。 その実験を進めている中で,このPFCにアイデアを加えて特許申請したのがショット輸送(新商品名ショットフローコンベヤー)である。

 この開発実験がある程度進んだところで,顧客の了承を得て,報文にまとめることになった。 ある程度書き進めたところで,これは内容が多岐にわたるからと分割することになり,結局3報の論文(1報は英文)となった。 「ショット式プラグ輸送における超高かさ密度粒体の輸送特性」,「ブロータンク式高濃度空気輸送機による高かさ密度粒体の摩耗」 および「繰り返し空気輸送における粒子の摩耗(英語タイトルの訳)」である。

 そのうちのもっとも論理を追う構成にした英文のものは,査読に1年以上かかった。 これは英語の表現への注文がなかなか収束しないことが主な問題で,相談できる人が周りにいないために苦しい思いをした。

■  6. 本論文の執筆

 これらの3報に食塩の貯槽と輸送を加えて本論文としてまとめればよいと指導されたが,せっかく書くのだからと欲張って, さらに2つのテーマを加えて本論文とした。 最終的に,ショット輸送の3報分は2章分としてまとめ,食塩の貯槽と輸送を1章分とした。 それに「かさ密度の低い微粉体の輸送」と「湿潤粉粒体の振動を伴う空気輸送」が各1章である。 これらに,既往の研究などの第1章,総括の第7章を加えて完成させた。
 食塩の輸送と低かさ密度の輸送では,記述していく過程で,初期には気づかなかった重要な知見がいくつか発見された。 そこでこれらも充実した内容に仕上げることができた。 それも,これまでに採取してきたデータの質が高く,即ちパラメータなどの記録が正確で, 後になって解析するのに耐えるものだったからで,これには会社の研究開発における伝統的に堅実な姿勢が寄与していると言える。

■  7. 謝辞

 研究を振り返ってみれば,多くの先人の業績がその足がかりになっており,いわばご指導ご協力を戴いた方々との合作であるとも言える。 また,会社からも新しい試みに快諾を戴いて,温かく見守って戴いた。 さらに,論文の内容と直接的には無縁ではあっても多くの方々に励ましの言葉を戴き,心の支えとなった。 皆様に心から感謝申し上げる次第である。

 学位論文にまとめた内容は,「取り扱いにくい粉粒体の輸送」としてINCHEM2001でとりあげて展示及び講演を行い, また,空気輸送のカタログとしてもまとめた。

(こなみ もりよし)


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